白紙ノート

アラサーでもなお日々もがくさまの記録

金曜の夜の魔物

金曜の夜のやるせなさったらない。

飲んで帰ったら特に、帰り道に絶対人恋しくなる。当然、帰っても待っている人はいない。

仕事をさっと済ませて、家に帰り、いつもよりゆっくりお風呂に入り、さっさと眠るのが1番だ。そして土曜の朝は早く起きるに越したことはない。ただそれができないのだ。


金曜の夜は魔物がいる。

ファッション雑誌にまだ見ぬロマンを

今日はちゃんと身繕いして仕事へ行った。

帰りにファッション雑誌やファッションに関する本を立ち読み。


今は『シンプルな服を着まわし倒す系』というジャンルの本が多いことに気がつく。


1冊は髪型で印象を変えれば同じ服も印象変わる!みたいな本。あ、これ無理なやつだ、と判断、なぜかって髪型を毎日変えられるほど余裕ないんすよ。。学生の頃ならいざ知らず、毎日髪型変えて職場に行くってのもなぁ…。土日にはよいかも。


次はUNIQLOUNIQLOに見せない!系の本。ふむ。UNIQLOは私もよく買います。…ん?スニーカーはここのブランドでオッケー、と指定が。あ、これも無理かも。これ読んでる人みんな同じスニーカー履くようになるってこと…?いやちょっとそれもなぁ。似たようなの買えばいいんだろうけどなんとなくすとんと落ちないので本を戻す。


お次はシーズンごとに10着でオッケー!みたいな本。お、これはなかなかよい。たしかにシンプルな服と柄入りの服、ふむふむ。…あれ?保護者会とか運動会って、ターゲット層何歳だよー!まだそこまでの年齢ではないよなぁ。やはりもう少し若々しさも必要よね、とこれまた本棚に戻す。


本を開くたびに、これでもない、あれでもない、となると気分がぐっと落ち込んでしまう。


本を閉じて雑誌コーナーに移動。雑誌を見ていると、自分には思いつかないような組み合わせや品物が載っている。

そうか、雑誌はテイストこそ絞られているけれど、アイテムは多種多様なのを載せている(広告媒体だからそれはそうなんだけれど)。本の合理的な、限られた手の届く値段の服の着まわしは、日常に即しているけれど、雑誌のもつエンターテイメント性はない。私はエンタメ性を求めて雑誌を買っているから、実際に服を買わなくても読んで満足できるんだ、とすごく腑に落ちた。

服にまだ見ぬロマンを求めているなんて、意外な自分の一面が発見できた気がする。


さて、読んで満足じゃなくて実際にチャレンジしてみよ、わたし。

大人のすっぴん問題

ほぼノーメイクに近い状態で出勤することは、世の中のルールとして『身だしなみ』という観点で引っかかる、と研修で習いましたがそれって本当なんでしょうか。

私はメイクが下手なのか、メイクしてます感があまり出ない。そもそも目が悪すぎてコンタクトレンズができない日は、さらにメイクがうまくできずほぼノーメイク状態が完成する。そして出勤して『あれ?今日すっぴんですか?』のひと言を受けることになる。

いや、してますけど?のひと言が言えず、いやー寝過ごしちゃってーとか、なんか調子悪くってーとかよくわからない理由をつけてごまかすのだ。なんだかそういう日は自信がないから。

40代以上の方々から、
『いつチャンスがあるか分からないんだからいつも小綺麗にしておきなさい』
と言われたことが何度もある。男女問わず。
やはりちゃんとした大人になるとは、小綺麗にしておくことなのか。

小綺麗にしておく、というのは評価を外見でされているようだとか周囲に評価を預けているように見えるが、それだけでないことに気がついた。
単純に少しメイクがうまくできたり、頭からつま先まで服や靴がキマッている日はそれだけで気分が上がるからだ。自信を持てるから、それだけ自分が前向きになれる。そういう内から出る気持ちのことも言ってるんだろうなぁ

なんてことを帰り道に思うのだった。

と思いきや、なぜかそういう今日はキマってないという適当な日に限って、街中で知らない人に声をかけられた。ノーメイクはスキを与えているのでしょうか。それもあるかもしれないが、冷静に考えたら単純にこれくらいの女ならいけるってハードルが下がっているだけだと思いました。はい。小綺麗にしてバリアを張るのも大事です。

会いたいならそう言ってしまえばよい。

会いたいって言っていいのか悩むってよく相談とかされるけど

悩むだけ時間の無駄だと思う。


言って反応なかったらもう自分から言わなければいいだけだし、

言って反応があれば物事が動く。


結局のところ自分中心の考えなわけで。

相手の迷惑かな、とか気遣ってるようで

自分が嫌われている現実を直視することになるかもしれない恐怖と

もしかしたら会えるかも?という期待がなくなることへの虚しさと

自分の中にあった誰かへの感情が終わりに向かう寂しさと

根底にあるのは自分。自分がどうしたいかは自分で決断するしかない。


それに結構言ってしまうことですっきりしたりして、

まさに自分本位な発想かもしれない、

言いたいこと言ってすっきり、という。

それくらい自分出してない状態で、相手に好かれたところでその先が思いやられる気しかしない。


これは付き合う前の人たちの話です、あしからず。

付き合ってたらかわいく会いたいなぁーで問題なしだもの。頻度はわきまえなきゃだけど。


そんなことを考えた1日。

インプットな日々が続いたら書きたくなる

誘いたい人を誘えなくてもやもやしている時、言いたいことをうまく伝えられなかった時、面白い話ができなかったと後悔する時、私はインプット量が増える。無意識的に。

もやもやを忘れたり、うまく伝える方法を学んだり、面白い話を仕入れたり。そんな動機のため。大層な理由なんて必要ない。

美術館に行ったり、CD買ったり、映画見たり、本を読んだり、なんでそれが好きなの?って聞かれても困る。好きな理由なんてない。これ面白そう、気になる、これならもやもやを忘れられる、とか思ってるだけだから。
誰かと会って話すのももちろん楽しいけれど、自分がどう思うか、感じたかを深く時間をかけて振り返るために、私は1人で読んだり見たり聴いたりする時間が必要なだけ。

モスバーガー最強説(10日目)

転出届を出しに行く前に腹ごしらえをしようと、目に入ったモスバーガーへ行った。


この前来店した他のハンバーガーショップでは、一口目からレタスとお肉とパンがあっちこっちに行ってしまい、崩壊した苦い記憶がある。しかし、モスのエビカツは、最後の一口まできれいに食べられた。まずそこに感動した。袋のせいなのか、小型サイズのパンが功を奏しているのか。達成感があった。


そして中の具材。エビカツのシズル感が抜群、噛むと湯気がふわーっと立ち上る。キャベツは冷たくシャッキリ、エビキャベツを交互に食べたり一口で食べたり。美味。


ふとガンガンに効いているクーラーに目をやると、そこからも湯気が…いや、湯気ではない。冷気が出ている。熱いものは熱々、冷たいものは冷たくのモスバーガー、さすがです。室内は大変に涼しい。


そして、何より月末目前、速度制限真っ只中にあっては、街中のフリーワイファイがありがたい限りである。重めのサイトをここぞとばかりに読み、お腹も心も満たされた。


そうして、用事を済ませに店を出た。

9日目

アラームかけずに寝たら10時過ぎ、だらだらしてたら11時。少し涼しいとたくさん寝てしまう。そこらへんにあるものを食べていたら、あっという間に14時。ザ・ノンフィクションがおやすみのため録画していた海街ダイアリーを見た。天ぷら、おはぎ、しらす、食事シーンがよく出てくる。あとピアノの音楽と街の風景がきれい。映画とかドラマで、生活を丁寧に送っている様(梅酒漬けたり、漬物作ってたり、障子の張り替えしてたり)を見ると、今の生活の杜撰さに気がつく。もっと季節感楽しんだり余裕のある生活がしたい、と映画の趣旨とは異なるところに目がいってしまった。


その後昼寝をして18時。晩御飯を作り、冷蔵庫掃除をして今。

寝れる気がしない。